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知ってるようで知らない「日本の大麻」の歴史

日本の大麻の歴史日本において大麻といえば、『ダメ。ゼッタイ。』のキャッチコピーで知られる違法薬物のひとつであるというイメージを持つ方が多いかと思います。
しかし、このイメージは「戦後に作られたもの」に過ぎません。
過去から現代に至るまで大麻そのものは日本国内で栽培されていて、特に戦前はさまざまな用途で盛んに利用されていました。
ここでは、そんな「日本の大麻」の歴史に迫ってみたいと思います。

★記事のポイント早わかり★

古来、大麻は日本で生活用品や食品の原料として親しまれてきた

日本の神道では、大麻は「神聖な植物」と見なされている

戦前はぜんそくの薬として「大麻タバコ」がポピュラーな存在だった

「大麻取締法」成立のきっかけは、戦後日本に駐留したGHQの指導

戦前の日本と大麻

大麻(カンナビス・サティバ・エル)の栽培や使用は現在、太平洋戦争後に成立した「大麻取締法」のもとで厳しく規制されています。
「大麻取扱者」の免許を取得した農家だけが栽培を許可されており、栽培された大麻は、七味唐辛子に入っている「麻の実」や、衣類の原料として使われています。
各地に自生する大麻草は自治体によって定期的に除草され、私たちがその姿を目にする機会はあまりありません。
しかし、この法律が成立する以前の日本では、大麻はもっとありふれた植物で、日本人の生活や精神と密接な関わりを持っていました。

日本の伝統的な生活と大麻

日本の伝統的な生活と大麻大麻は縄文・弥生時代の頃から日本人の生活に欠かせない植物でした。
といっても、いわゆる麻薬のような嗜好品として使用していたわけではありません。

私たちの祖先は大麻の実を食用にしたり、大麻の繊維で布を織って衣服を作ったりしていました。
特に、大麻の繊維はさまざまな場で活躍してきた歴史があります。
戦国時代中期に木綿が登場するまで、軽く、風通しがよく、丈夫な麻布を使った衣服は庶民たちに親しまれていました。
赤ちゃんが生まれたときに着せる産着も、麻布を使ったものが一般的でした。

また衣服のほか、縫い糸、漁網、縄といった道具の原料としても使われていた歴史があります。
夏に蚊よけの道具として活躍した蚊帳の原料にも、大麻の繊維が使われていました。

日本人の生活や仕事の場において、大麻はありふれたものであり、欠かせないものだったのです。

日本神道と大麻

日本神道と大麻日本の「神道」の世界では、大麻は神霊が宿る“神聖な植物”として扱われています。
たとえば神社では、お祓いに使う「祓串(はらえぐし)」は別名「大麻(オオヌサ)」といいます。
現在では紙製のものも多く見られますが、本来は麻布を使うのが正式であるとされています。
そのほか、神社の境内にある「御神木」には大麻の繊維で出来た「注連縄(しめなわ)」が巻かれます。

さらに、新天皇が即位する際に行われる神事の「大嘗祭」では、天皇は麻布を織って作る「麁服(あらたえ)」を着用します。これは古代から続く伝統であり、令和元年の大嘗祭でも天皇陛下は麁服を着用して儀式に臨まれています。

また、現在ではスポーツとして知られる「相撲」はもともと神事として行われていた歴史がありますが、横綱がお腹に巻く綱にも大麻の繊維が使われています。
横綱といえば番付のナンバーワンである“最強の力士”ですが、本来は神聖な土俵において邪気を払う存在とされています。
神霊が宿る大麻の繊維を織り込んだ綱を身につけ、そのパワーをより高めるわけです。

“黄金の国ジパング”は「麻の国」だった?

黄金の国ジパングは「麻の国」だった?かつて、日本は「黄金の国」と呼ばれていた……歴史書には、そのような記述が見られます。
東アジアの旅行記『東方見聞録』を著したイタリアの冒険家マルコ・ポーロが、「ジパング(日本)では、宮殿から民家に至るまで黄金で出来ていると書いたことがきっかけです。
当時の日本は、鎌倉時代の後期。ヨーロッパではその後、「日本=黄金色に輝く国」というイメージが定着したといわれています。

この記述については、「マルコが中尊寺金色堂の話を聞いて書いた」という説がよく聞かれます。
現在の岩手県にある国宝・中尊寺金色堂は、平安・鎌倉期にその地を治めていた奥州藤原氏が「極楽浄土」を表現するために、象牙や各種の宝石、そして大量の金箔を使って建築したものです。
確かに、「黄金で出来た宮殿」に見えます。
しかしその一方で、実はマルコ・ポーロが書いた「黄金」とは、大麻草から作られる「精麻」であったという説もあります。

精麻は、大麻草の茎から精製される繊維のこと。
黄金色で独特の光沢があり、柔らかくなめらかで同時に丈夫であるという特徴を持っていたので、衣類をはじめさまざまな生活用品の原料として使用されてきました。
そして、生命力が強く育てやすいという特徴を持つ大麻は、当時の農家において米に次ぐ作物として栽培され、精麻が盛んに作られていました。

農村の家々の軒先に吊るされた精麻の束は、太陽の光を受けて黄金色に輝いていたことでしょう。その情景は、まるで家が黄金で出来ているかのように見えたでしょう。
それを見たマルコ・ポーロが、思わず筆をすべらせたというのは、ありえる話だと思います。

ちなみにこの説は、もちろん歴史学的に正しい説であるという保証はありません。
「そう考えてみるとちょっと楽しい」という妄想話としてとらえていただければ幸いです。

大麻は「医薬品」として使われていた!

戦前の日本でも、医療目的で大麻が使われていた現在、日本を除く先進国では「医療大麻」の活用が本格的に検討されたり、実施されたりしています。
難病の治療や症状の緩和に役立つ画期的な医薬品として、大いに注目されています。

実は戦前の日本でも、医療目的で大麻が使われていた歴史があります。
たとえば明治時代には、大麻の葉を乾燥させて作る「大麻タバコ」が、ぜんそくの治療薬として使用されていたという事実があります。
具体的には、THCの含有量が多い「カンナビス・インディカ」という種類の大麻が中東から輸入され、『ぜんそくたばこ印度大麻煙草』という名称の医薬品として販売されていました。

さらに時代をさかのぼって、江戸時代に農学者の貝原益軒が著した書物『大和本草』には、大麻が<「マラリアに効く治療薬」として記述されていた事実もあります。

ちなみに、大麻を医療に使用すること自体は、日本だけでなく世界各国で行われていました。
たとえば古代中国では、さまざまな薬効を持つ漢方薬「麻子仁(マシニン)」の原料でした。
また、19世紀のイギリスに君臨したヴィクトリア女王は、PMS(月経前症候群)の症状を緩和させるために大麻を使用していたという事実があります。

現在では、国際的に「規制を乗り越えて医療大麻を解禁しよう」という動きが強まりつつありますが、そもそも規制される以前は世界中で大麻が医薬品として利用されていたわけです。
こうして見ると、歴史はしないでもいい回り道をしているような印象がありますが、いかがでしょうか……。

まとめ

大麻は古来、日本の衣食を支える植物として使用されてきた

神社では、昔も今も神に捧げる「ヌサ」として大麻繊維の布を活用している

明治時代には大麻タバコがぜんそくの治療薬として販売されていた

戦後の日本と大麻

庶民の生活、宗教、さらには医療まで……あらゆる分野で使用され、親しまれていた日本の大麻ですが、戦後は一転して「違法薬物」という負のイメージを持つことになります。
そのきっかけは、戦後すぐの1948年に制定された「大麻取締法」によります。

・大麻の所持、栽培、輸出入などが原則禁止

・免許を取得した農家のみが産業用に大麻を生産できる

という内容の法律です。

ここでは、そんな大麻取締法が成立して「日本の大麻」の歴史が大きく変わる瞬間についてまとめてみたいと思います。

戦前は「日本の大麻=麻薬」ではなかった

戦前は「日本の大麻=麻薬」ではなかった大麻を規制する法律そのものは、大麻取締法が成立する以前にも存在しました。
1930年に制定された「麻薬取締規則」です。
これは1925年に批准された国際条約「第二アヘン会議条約」をきっかけに制定されたもので、ここで初めて日本において「大麻=麻薬」とされました。

ただし、ここでいう「大麻」は、中東で栽培される「インディカ種(カンナビス・インディカ)」のこと。輸出入が許可制となり、製造が届け出制になりました。
一方、日本で栽培・利用されていた大麻(カンナビス・サティバ・エル)は規制の対象外でした。
要するに、1930年の時点では、日本の大麻は麻薬ではなかったわけです。

実際のところ、すでに紹介したように日本では大麻を嗜好品として吸う文化がなかったので、「日本の大麻は麻薬ではない」というのは自然な認識でした。
農家では、それまでと同じように大麻を自由に栽培し、販売することができました。

しかし1945年、アメリカとの戦争に敗れたことによって状況が大きく変わります。
マッカーサー元帥が率いるGHQ(連合国軍総司令部)によって日本の大麻も麻薬に指定するよう指導され、それを受けて「大麻取締法」が制定されることになったのです。

「大麻取締法」が出来るまで

大麻取締法ができるまで終戦から2ヶ月後の1945年10月、GHQは日本産も含めたあらゆる大麻の栽培を禁止する指令を出し、日本政府もそれに従いました。
アメリカでは大麻を麻薬として使用する文化があって社会問題となっていたために、占領国の日本にも自国の価値観を押しつけたものと考えられます。

とはいえ、大麻は伝統的な日本の文化・生活様式に欠かせないものです。
また、農家にとっては死活問題でもありました。
大麻は育てやすいので、特に資金力がない貧しい農家にとっては、コストをかけずに栽培できる貴重な作物として生産されていた経緯があります。

そのような問題もあってGHQとの交渉が行われ、産業用の大麻栽培が認められて「全面禁止ではなく許可制にする」という内容で法整備が進められることになりました。
その後、1948年に「大麻取締法」が成立。
こまごまとした改正が行われたものの、根本的には変わらないまま現在に至ります。

戦後、日本に大麻の規制を強化させたアメリカでは、現在は医療大麻の解禁だけでなく嗜好品としての大麻を解禁する動きが進んでいます(複数の州で合法化されています)。
一方、アメリカから大麻規制を押しつけられた形の日本では、当時の価値観を頑固なほどに守り続け、医療大麻の解禁の議論もあまり進んでいません

【Point】

戦前の法律では「日本産の大麻」は麻薬ではなかった

戦後、GHQの指導をもとに「日本産の大麻=麻薬」とする大麻取締法が成立

まとめ

★記事のおさらいポイント★

大麻は古くから日本の産業、農業、宗教、医療の分野で重要な役割を果たしていた

日本では戦前まで「日本産の大麻=麻薬」ではなかった

戦後、GHQの指導をきっかけに大麻の規制が厳格化された

世界的に解禁ムードが高まる中、日本は強制された大麻規制から抜け出せていない

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